遠雷

誰かにとっての花火に撃ち抜かれて此方

青春の傷跡は今も痛みを残すか?

某テレビ誌に掲載された「勝利くんとマリウスくんから見たふまけん」インタビューは、私にとってかなり衝撃的な内容だった。
「レッスン中に足を踏んだ踏まないでふまけんが殴り合い寸前の喧嘩をはじめて、仲裁することもできず慌ててマネージャーを呼びに行った」
圧倒的青春。ふまけんが蜜月期(というのかは知らんが)に入ったからこそ明かしてくれた衝撃の過去。年下組から見たふまけん、あまりにも脆く儚い少年期特有の自我のぶつかり合い…。
正確な時期は明言されていなかったけれど、ふまけんが楽屋で一言も口を利かなかったという所謂氷河期真っ最中の出来事であろうことは想像に難くない。ただ恐らくまだ中学生だった勝利くんにしてみれば、高校生のお兄ちゃんふたりのガチ喧嘩はさぞ恐怖だったろう。中高生時代の年齢差は何故かとてつもなく大きなものに感じるし、アイドル歴の長さも人気もあったふたりの喧嘩を、年下の自分が仲裁もできないし…と素早く大人に助けを求めた彼の判断力を今こそ褒めたい。褒めて褒めて褒めまくりたい。
火花を散らすふまけんの諍いに対し中立を守った年下組の見守りと、風磨くんの譲歩、そして健人くんの赦しの甲斐あって、今のふまけん仲は傍目から見ても良好だ。
Jr.時代からジャニーさんに「YOU達はずっとふたりだよ」と言われたふまけんは、互いを身近なライバルと位置付けて常に隣に立ち続け、そして今も隣に立っている。風磨くんが今や中島健人全肯定botと言われるように健人くんの発言を肯定してくれるのも、彼が「中島健人にあって菊池風磨にないもの」を認め、かつ「菊池風磨にあって中島健人にないもの」もあるのだと自信をつけた結果だとするなら、互いを認め合い尊重できるシンメへと成長したふまけんは向かうところ敵なしといった感じがする。
私が2019年10月からの超新参のひよこおたくのため氷河期について深く語る権利を持たないが、それでも先人達の目を借りながら紐解いた歴史に、何も感じない訳ではなかった。けれど誰よりも、氷河期の当事者である健人くんが、風磨くんの変化を受け容れ、喜んでいるのだ。それに気付いてからは、外野が過去を掘返してねちねち言う方がお門違いなのだと理解できた。心優しく、誰かを傷つけることを避け、ポジティブであろうと心掛けている健人くんも、それを喜ばないだろう。だから今は、心から風磨くんの成長に感謝できているし、風磨くんが好きだと素直に思える。セクシーサンキューto the world。
ゆえにふまけんについては、青春の傷跡は流れ星の日を機に徐々に癒え、自主レーベルを発足した今、瘡蓋すら残っていないのだと夢想できる。

まだ青春の痛みをその身に残しているのは、だから私はむしろ、佐藤勝利の方ではないかとすら思う。
2020年3月発売のSexyZoneカレンダー掲載の勝利くん単独インタビューに記載されていた、デビュー後の生放送での出来事に、私はまたしても心臓を抉られた。
曰く、「生放送でVTR振りを間違え、あわや放送事故になりかけた。当時は子供だった自分を叱ってもしょうがないと、大人やジャニーさんはグループ最年長でリーダーとされていた健人くんを叱っていた。今でも申し訳ないし、忘れられない」と。
し、しんど~~~誰も悪くないだけに余計しんど~~~。
ミスをしない人間はいないのに、よりによって自分のミスで、先輩でこそあるもののまだ未成年の子供である健人くんが大人達に怒られているのを、ただ見ていることしかできなかった無力な子供時代の悔恨が、今も勝利くんに鮮やかに傷として残ってしまっている事実がめちゃくちゃしんどい…。きっと健人くんは気にしていないだろうことが容易に想像できるのも更にしんどさに拍車をかける。幼くして紅い薔薇を背負うことを宿命づけられた永遠の0番の責任感まじ半端ねえな…おたく、落涙を禁じ得ない。
けれど健人くんの小ボケを逐一ツッコんで拾ってくれたり、一緒にごはん行きたくても断れるのが怖くて誘えない健人くんに気を回して「一緒にごはん行く?」って誘える勝利くんの優しさが、現在進行形で健人くんを救っているのも事実なのだし、もうその過去は清算してもいいのでは…と外野は思ってしまうけれど、勝利くんの強すぎるほどの責任感がその傷を易々と癒させないのも理解できるので、この傷は当人同士で解決していただくしか…ないんだろうなあ…。健人くんが赦す赦さないでなく、これは勝利くんの落としどころの問題なので、公の場で発言できる程度には傷は癒えていると思いたいけれど。
頑固で真面目なところ、勝利くんと健人くんは似ている気がして、愛おしいけれどおたくは心配です。勝利くんをふかふかおふとんでくるんでぬくぬくさせたい。

青春の傷跡は、治るも治らないも、きっと本人達がその傷を癒したいと思っているかどうかにかかっている。
癒すことを選んだ傷も、未だ癒せない傷も、どちらも今の彼らを形作る肥しなのだとすれば、一概になかったことにすべきでないこともわかるけれども。
どうか少しでも彼らの前途が明るいものでありますように。と、おたくは祈るばかりである。おわり。